有限会社ムトウモータースのショップレポート
※自動車ライターさんに取材していただいた記事です。
突撃取材でカーショップを紹介していくCar Shop Report。
今回登場する販売店は微妙で絶妙な家族の歴史(?)を持つ
指定工場完備の老舗、掛川エリアの『ムトウモータース』さんです!
県道409号線から1本裏に入った場所にあるムトウモータース。併設される自社工場は陸運支局に代わって車検が行える“指定工場”だ。「表通りに面している店ではないので、中古車の展示数はあえて少なめにして、お客様の細かなニーズに合う物件を厳選して仕上げるというスタイルをとっています」(武藤守社長)
大規模「指定工場」を完備する掛川の老舗
ムトウモータース社長の武藤守さん。整備士資格取得後、まずは静岡トヨタで整備の腕を磨いたのち、父が創業したこの会社に入社した
掛川市西大渕のムトウモータースは、昭和45年創業の総合カーショップ。車両展示場だけでなく大規模な指定工場を完備しているため、通常の車検整備と、いわゆる1日車検も大の得意としているのがムトウモータースの特色だ。
ご存じとは思うが念のため「指定工場」と「認証工場」の違いを説明すると、どちらも国から自動車を整備することを認められた工場である点に違いはないが、指定工場というのは別名「民間車検場」とも呼ばれる工場。要するに、陸運支局に代わって車検を行うことができるのが「指定工場」である。
先代社長は家業の「自転車屋」が嫌で掛川を飛び出した元銀行員
そんなムトウモータースを創業したのは、現社長である武藤守さんの父・紀久治さん。紀久治さんのお父様が営んでいた自転車店を1970年(昭和45年)に継ぎ、その後自動車販売整備業へと業態変換を果たしたのだ。そう聞くと「紀久治さんは根っからの自動車好き、整備好きだったんだろうなぁ」などと思うわけだが、事実はまったく逆であった。
「父は第一勧銀(当時)に勤める銀行マンだったんですよ、実は」
そう語るのは現社長の守さん。聞けば、「俺は自転車屋になんかなりたくない!」と言って家を飛び出した紀久治さんはその後見事に勧銀マンとなり、実家にはほとんど寄り付かなかった。よほど“自転車屋”が嫌だったのだろう。紀久治さんは東京での生活と、銀行マンとしての職業人生を謳歌した。
だが、家に連れ戻された。やはり、“自転車屋”であった守さんの祖父が無理やり連れ戻したのだろうか?
「や、そうではなくて近所の世話好きなおじさんがですね、なぜか勝手に東京に行って(笑)、父を説得したらしいです。どう説得したのかは知りませんが」
勤続約40年の車検担当整備スタッフ、石川久さん。今でこそ守社長のいわゆる「部下」だが、守さんが保育園に通っている頃はその送り迎えもしていたという!
整備担当スタッフの奥山さん。ムトウモータースの将来を担う若手のホープだが、こう見えてメカニック歴8年の頼りになる存在だ
第一勧銀仕込みの事務システムを構築、そして自動車販売整備業に
近所の世話好きなおじさんと紀久治さんの間でどのような会談が実施されたのか、今となってはすべてが不明である。しかしとにかく、紀久治さんは掛川に戻った。そして(嫌々だったらしいが)自転車屋になった。
しかしさすがは元勧銀マンである、やると決めたからにはトコトンやる。まずは旧態依然とした事務会計システムを銀行仕込みの効率的なそれに変更し、そして「これからは自転車じゃない、自動車だ!」と時代の先を完全に読み切り、独学で自動車整備士資格を取得したのち、現在の業態へとフルモデルチェンジした。さすがは勧銀マン、さすがの慧眼と実行力、突破力である。
非常に難しい仕事からその他の仕事まで一手に担当しているメカニック、岩倉潮視さん。ムトウモータースのエース的存在だ。取材時は積載車にお客様の車を乗せて出かける直前でした
年季の入った、しかし清潔に磨き上げられた工具類。整備工場の資質というのはこういった部分にもしばしば現れる
現社長は高校生時代「全米デビュー」を目指した?
さて、そんな父の後を継いでムトウモータースの代表となった守さんが同社に入社したのは1992年のこと。高校生のとき、母・紀代子さんに「あんた、将来何になる?」と聞かれた守さんは「全米デビューする!」と迷わず答えた。そう、守さんは高校生まではロックバンド活動に打ち込んでいたのだ。
しかし、母に「……あんたアホか?」と言われた守さんは「うむ、確かにアホかもしれないな」と素直に思い、高校卒業後は全米ではなく岐阜の自動車整備専門学校を目指した。卒業後、静岡トヨタでメカニックとして4年間修業した後の1992年、前述のとおりムトウモータースに平社員として入社。しかしそのわずか2年後、守さんはいきなり社長に就任した。親の七光りってやつか?
「や、全然そうではなくて、どうもその頃父が地元の自動車業組合の会長に祭り上げられそうになってたらしく、それが嫌で、わたしに社長の座を押しつけたんですよ。だから当時のわたしは完全に“名ばかり社長”です(笑)」
無造作に置かれたスバルの水平対向エンジン。車検整備だけでなく、こういった重整備もお手の物
陽だまりのなか、黙々と働く松下メカニック
日当たりが良く、なんとなく幸せな気分になれる昭和テイストな待ち合いスペース
名ばかり社長から「本当の社長」へと成長した20年間
しかし、当時は“名ばかり社長”だった守さんもそれから約20年の経験を積み、今や“名も実も社長”である。スズキの純正診断機であるSDT-2や汎用診断機G-SCANを導入し、新車から1回目車検までの定期メンテナンスがお得になる「メンテナンスパック」や、車両単位ではなく家族単位でポイントが貯められる「オイルポイントサービス」などの各種サービスも発案。地域のお客様から大好評を博している。ちなみに、取材時点ではまだ依頼はないというが、DSRC(最新の交通情報提供サービス)のセットアップも可能な態勢を整えた。
「新規のお客様を獲得するのはもちろん大切ですが、それと同様に、昔から応援してくださっている地元のお客様を大切にしたいんですよね」と語る守さん。土地柄、車だけでなく「草刈り機の修理も多いです(笑)」というように、頼まれれば何でもやる。「ネットオークションで部品を安く落札して、それをムトウモータースに持ち込んで整備してもらいたい」という、よく考えたら自社の利益につながらなそうな依頼にも応え、応えるだけでなく「ネットオークションのやり方がよくわからない」というお客さんに付き合って部品を落札してあげ、それを格安な工賃だけでいただいて取り付ける。
「ったく、そんなことばっかやってるから全然儲からないのよ!」と怒る経理担当の妻、武藤直子さんだが、その目は真剣に怒っているわけではない。
いい店だな、と素直に思う。勝手な推測でしかないが、父・紀久治さんもきっとそう思っていることだろう。あと、紀久治さんを無理やり掛川に連れ戻し、結果として現在のムトウモータース誕生の立役者となった「近所の世話好きなおじさん」も(笑)。
この人がいるだけで、その場が明るいムードになる経理担当の武藤直子さん。実は国家3級整備士でもある
※記事の内容は2014年3月掲載時のものを加筆修正したものです。
突撃取材でカーショップを紹介していくCar Shop Report。
今回登場する販売店は微妙で絶妙な家族の歴史(?)を持つ
指定工場完備の老舗、掛川エリアの『ムトウモータース』さんです!
県道409号線から1本裏に入った場所にあるムトウモータース。併設される自社工場は陸運支局に代わって車検が行える“指定工場”だ。「表通りに面している店ではないので、中古車の展示数はあえて少なめにして、お客様の細かなニーズに合う物件を厳選して仕上げるというスタイルをとっています」(武藤守社長)
大規模「指定工場」を完備する掛川の老舗
ムトウモータース社長の武藤守さん。整備士資格取得後、まずは静岡トヨタで整備の腕を磨いたのち、父が創業したこの会社に入社した
掛川市西大渕のムトウモータースは、昭和45年創業の総合カーショップ。車両展示場だけでなく大規模な指定工場を完備しているため、通常の車検整備と、いわゆる1日車検も大の得意としているのがムトウモータースの特色だ。
ご存じとは思うが念のため「指定工場」と「認証工場」の違いを説明すると、どちらも国から自動車を整備することを認められた工場である点に違いはないが、指定工場というのは別名「民間車検場」とも呼ばれる工場。要するに、陸運支局に代わって車検を行うことができるのが「指定工場」である。
先代社長は家業の「自転車屋」が嫌で掛川を飛び出した元銀行員
そんなムトウモータースを創業したのは、現社長である武藤守さんの父・紀久治さん。紀久治さんのお父様が営んでいた自転車店を1970年(昭和45年)に継ぎ、その後自動車販売整備業へと業態変換を果たしたのだ。そう聞くと「紀久治さんは根っからの自動車好き、整備好きだったんだろうなぁ」などと思うわけだが、事実はまったく逆であった。
「父は第一勧銀(当時)に勤める銀行マンだったんですよ、実は」
そう語るのは現社長の守さん。聞けば、「俺は自転車屋になんかなりたくない!」と言って家を飛び出した紀久治さんはその後見事に勧銀マンとなり、実家にはほとんど寄り付かなかった。よほど“自転車屋”が嫌だったのだろう。紀久治さんは東京での生活と、銀行マンとしての職業人生を謳歌した。
だが、家に連れ戻された。やはり、“自転車屋”であった守さんの祖父が無理やり連れ戻したのだろうか?
「や、そうではなくて近所の世話好きなおじさんがですね、なぜか勝手に東京に行って(笑)、父を説得したらしいです。どう説得したのかは知りませんが」
勤続約40年の車検担当整備スタッフ、石川久さん。今でこそ守社長のいわゆる「部下」だが、守さんが保育園に通っている頃はその送り迎えもしていたという!
整備担当スタッフの奥山さん。ムトウモータースの将来を担う若手のホープだが、こう見えてメカニック歴8年の頼りになる存在だ
第一勧銀仕込みの事務システムを構築、そして自動車販売整備業に
近所の世話好きなおじさんと紀久治さんの間でどのような会談が実施されたのか、今となってはすべてが不明である。しかしとにかく、紀久治さんは掛川に戻った。そして(嫌々だったらしいが)自転車屋になった。
しかしさすがは元勧銀マンである、やると決めたからにはトコトンやる。まずは旧態依然とした事務会計システムを銀行仕込みの効率的なそれに変更し、そして「これからは自転車じゃない、自動車だ!」と時代の先を完全に読み切り、独学で自動車整備士資格を取得したのち、現在の業態へとフルモデルチェンジした。さすがは勧銀マン、さすがの慧眼と実行力、突破力である。
非常に難しい仕事からその他の仕事まで一手に担当しているメカニック、岩倉潮視さん。ムトウモータースのエース的存在だ。取材時は積載車にお客様の車を乗せて出かける直前でした
年季の入った、しかし清潔に磨き上げられた工具類。整備工場の資質というのはこういった部分にもしばしば現れる
現社長は高校生時代「全米デビュー」を目指した?
さて、そんな父の後を継いでムトウモータースの代表となった守さんが同社に入社したのは1992年のこと。高校生のとき、母・紀代子さんに「あんた、将来何になる?」と聞かれた守さんは「全米デビューする!」と迷わず答えた。そう、守さんは高校生まではロックバンド活動に打ち込んでいたのだ。
しかし、母に「……あんたアホか?」と言われた守さんは「うむ、確かにアホかもしれないな」と素直に思い、高校卒業後は全米ではなく岐阜の自動車整備専門学校を目指した。卒業後、静岡トヨタでメカニックとして4年間修業した後の1992年、前述のとおりムトウモータースに平社員として入社。しかしそのわずか2年後、守さんはいきなり社長に就任した。親の七光りってやつか?
「や、全然そうではなくて、どうもその頃父が地元の自動車業組合の会長に祭り上げられそうになってたらしく、それが嫌で、わたしに社長の座を押しつけたんですよ。だから当時のわたしは完全に“名ばかり社長”です(笑)」
無造作に置かれたスバルの水平対向エンジン。車検整備だけでなく、こういった重整備もお手の物
陽だまりのなか、黙々と働く松下メカニック
日当たりが良く、なんとなく幸せな気分になれる昭和テイストな待ち合いスペース
名ばかり社長から「本当の社長」へと成長した20年間
しかし、当時は“名ばかり社長”だった守さんもそれから約20年の経験を積み、今や“名も実も社長”である。スズキの純正診断機であるSDT-2や汎用診断機G-SCANを導入し、新車から1回目車検までの定期メンテナンスがお得になる「メンテナンスパック」や、車両単位ではなく家族単位でポイントが貯められる「オイルポイントサービス」などの各種サービスも発案。地域のお客様から大好評を博している。ちなみに、取材時点ではまだ依頼はないというが、DSRC(最新の交通情報提供サービス)のセットアップも可能な態勢を整えた。
「新規のお客様を獲得するのはもちろん大切ですが、それと同様に、昔から応援してくださっている地元のお客様を大切にしたいんですよね」と語る守さん。土地柄、車だけでなく「草刈り機の修理も多いです(笑)」というように、頼まれれば何でもやる。「ネットオークションで部品を安く落札して、それをムトウモータースに持ち込んで整備してもらいたい」という、よく考えたら自社の利益につながらなそうな依頼にも応え、応えるだけでなく「ネットオークションのやり方がよくわからない」というお客さんに付き合って部品を落札してあげ、それを格安な工賃だけでいただいて取り付ける。
「ったく、そんなことばっかやってるから全然儲からないのよ!」と怒る経理担当の妻、武藤直子さんだが、その目は真剣に怒っているわけではない。
いい店だな、と素直に思う。勝手な推測でしかないが、父・紀久治さんもきっとそう思っていることだろう。あと、紀久治さんを無理やり掛川に連れ戻し、結果として現在のムトウモータース誕生の立役者となった「近所の世話好きなおじさん」も(笑)。
この人がいるだけで、その場が明るいムードになる経理担当の武藤直子さん。実は国家3級整備士でもある
※記事の内容は2014年3月掲載時のものを加筆修正したものです。